年末年始は実家と義実家に帰省しました。
義理の両親も兄弟も
わたしにとっては
「大嫌いなもの」でしかなかったのですが
ふと、嫌い続けることに疲れている自分が
同時に存在していることに気付きました。
過去にされたことは
本当に嫌な事だったし
ありえないこともあったけれど
嫌いだと思い続けることが
無性に疲れることに気付いたのです。
嫌いだ!!とはねのけることは
実はとてもエネルギーを使い
誰かに「嫌い嫌い」のエネルギーを送り続けることは
壮大なエネルギーロスになっているからかもしれません。
ただ「好きになろう」とも思いません。
夫にとって義家族が
いい家族であればいいですし
子供たちにとって義家族が
いい親族であればいいと思っています。
わたしは別にその中で
何かをしたいとも思わないし
何かをして欲しいとも思いません。
義両親、義兄弟、甥と姪。
という親族がいます、と紹介するけれども
彼らに対してプラスの意味でも
マイナスの意味でも
強い感情を抱く事は無いと思います。
ただ面白いなぁと自分の事を思うのは
無意識に選ぶ行動は
「夜、長時間話すことはしたくないから寝る」とか
「帰り際手を振る義両親が見えない側の席に座る」とか
存在をどうでもいいと思っている行動を選びます。
はっと気づいた時に
「あ、やばい。見送りに来てもらったら最後まで手を振り返すものだよね」
と気付いて慌てますw
(空港へのリムジンバスに乗ったとき、義両親が見送る側とは反対側を選んで座ってて、夫たちは義両親が見える側を選択してましたw)
取り繕えない本心www
まあ、そんなわけで
無意識的にも、意識的にも
「どうでもいいや」に収まった感じです。
似ているようだけれども
「どうでもいい」のほうが
エネルギーロスが無くてラクだなぁと思った
年末年始の帰省でした。